試合の流れを一撃で変える、“理不尽ゴール”。
背番号18・森海渡から繰り出されるダイナミックなシュートは、時にそう表現される。
前十字靭帯損傷の大怪我を乗り越え臨む、横浜FC加入2年目の2025シーズン。
「早く自分のゴールで、このチームを勝たせたい」
幼少期からトップクラスのライバルに囲まれ、パワーアップを遂げた“怪物”フォワードが、覚醒に向け着々と準備を整えている。
ハマの怪物、覚醒へ
森海渡 FW 18
取材・文=北健一郎、青木ひかる
2000年6月7日、千葉県松戸市生まれ。“海”のように大きく、そして海を“渡”る人になってほしいという想いが込められた名前は、「ゆくゆくは海外で活躍できるような選手に」という志をもつ森に、ぴったりな名前だ。
近所の友達や姉の友人と一緒にボールを蹴り始めたのは、4歳の頃。
地域のサッカークラブ六実(むつみ)SCに加入してからは、本格的にサッカー漬けの日々が始まった。
「もともとは生粋のフォワードというよりも、“10番”っぽい選手でした。誰かに教わった記憶はないですけど、自分の感覚で相手の逆を突いたり、足技で相手をかわしたり。意外と“うまいキャラ”でやっていました」
今でこそ、185cm・80kgとがっしりとした体格を誇る。だが、小学生の頃は小柄で線も細く、軽やかな身のこなしと技術で相手と駆け引きすることが、なによりも楽しかったという。
しかし、小学4年生で受けた柏レイソルU-12のセレクションに合格したことで、“自分が一番”だった世界は一変する。
「まず驚かされたのが、同い年の中村敬斗選手(スタッド・ランス/リーグアン)。同期入団だったんですが、頭ひとつ抜けていました。あとはひとつ上の学年にいた、中村駿太選手(SONIO高松/四国リーグ)。飛び級で3つ上の世代別代表にも招集されてしまうような、スーパーな選手でした。自分もこういう選手にならなきゃいけないんだ、と思わされる出会いでした」
トップチームも、森が柏レイソルU-12に加入した2010シーズンにJ2リーグを優勝。翌年の2011シーズンにはJ1リーグで初優勝、2012シーズンには天皇杯制覇を果たし、黄金期を迎えていた。
「レアンドロドミンゲスさん、工藤壮人さん、田中順也さん……。すごい選手ばかり揃っていて、チームも本当に強かった。この頃から、シュートの打ち方を真似してみようとか、あの選手にみたいになれるように頑張ろうと思うようになりました」
お手本となる選手たちのすごさを間近で感じながら、森自身も「柏レイソルの選手として、プロの舞台に立ちたい」という思いを強めていった。
ハイレベルな環境で仲間と切磋琢磨しあいながら、森はめきめきと力をつけU-15、U-18へと順当に昇格した。
身長が急激に伸びたことで体の動きが鈍った時期もあったが、プレースタイルを変化させながら適応し、ゴールゲッターとして成長を遂げた。
「フォワードとして、ある程度はプロでも通用するかもしれない」と自信を掴むきっかけとなったのが、2017年の1月にカタール・ドーハにて開催された、アルカス・インターナショナルカップでの活躍だ。
ヨーロッパの強豪チームも参加するユース年代の国際大会で、森は合計4ゴールを決め、堂々の得点王に輝いた。
「FCバルセロナやレアル・マドリード、パリ・サンジェルマンといった、誰もが知っているようなチームのユースと対戦させてもらって、やれるなという手応えをすごく感じたし、実際に数字を残すこともできました。思っているより、差は大きくないのかなと感じた部分は、正直ありました」
ただ、自分がパワーアップすればするほど、競争する相手のレベルも上がっていくのが、サッカー界の摂理でもある。
大会終了直後の2月には、FIFA U-17ワールドカップに向けた強化合宿に選ばれ、初めて日本代表活動に参加したものの、本大会のメンバーからは漏れた。
高校2年生の冬には衝撃的な出会いもあった。当時“柏のスピードスター”としてブレイクしていた、伊東純也(スタッド・ランス/リーグ・アン)だ。
トップチームのキャンプに参加し、同じピッチでプレーした時の衝撃は「今でも忘れられない」と話す。
「“一人でサッカーしている”と言っても過言じゃないくらい、個のパワーが強すぎました。僕もスピードは武器にしてきたけど、比べものにならない。たとえトップに上がれたとしても当分、試合には出られないのはわかったし、まだまだ全然力が足りないな、と。諦めたわけではなかったけど、きっと無理だろうなと覚悟していました」
その予感は的中し、トップ昇格は見送りに。森はさらなる進化を誓い、大学への進学を決めた。
自身のサッカーキャリアの変遷を辿りながら、森は「どこにいっても、スーパーな選手ばっかり」と、苦笑いを浮かべる。
なかでも「“最もやばい人”に出会ってしまった」と語るのが、3学年上の先輩であり、今や世界に名を轟かせるドリブラー・三笘薫(ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC/プレミアリーグ)だ。
森が筑波大学に進学した2019年、三笘はすでに、川崎フロンターレへの加入が内定。そのほかにも、三笘の同学年には山川哲史(ヴィッセル神戸)や高嶺朋樹(北海道コンサドーレ札幌)をはじめ、歴代最強ともいえるメンバーが大学サッカーリーグで異彩を放っていた。
「薫くんがよく言っていたのは、『大学はプロになるための力をつけるんじゃなく、プロになったあとに活躍するための力をつける場所だ』ということ。有名な話ですけど、全体練習が終わったあと、薫くんと哲史くんが毎日1時間くらい居残りして、1対1の練習をしていたんですよ。あの2人がそれだけやっているのに、俺がやらない理由はどこにもない。とにかくついていくのに必死でした」
入学早々リーグ戦で先発に抜擢され、開幕戦からハットトリックを決めフォワードでレギュラーを掴んだ森も、他大学やメンバー外の選手にとっては、間違いなく“異次元”な存在だった。
それでも天狗にならず、ひたむきに結果を追い求めてこられたのは、プロ顔負けの実力をもってしてもなお、誰よりも真摯にサッカーに向き合う先輩たちの背中を、一番近くで見てきたからだ。
「『人生が変わった』と言えるくらいの出会いと経験ができたのは、筑波でプレーできたから。少し遠回りだったかもしれないけど、結果的に大学に行って良かったなと思います」
サッカーだけに打ち込める環境を整えるため勉強にも励み、3年次のうちに卒業要件を満たす単位数を取得した。
一学年上の角田涼太朗(カーディフ・シティFC/ジュピラー・プロ・リーグ)が3年生で横浜F・マリノスとプロ契約した前例にならい、森も卒業を待たず3年生で筑波大学サッカー部を退部し、生まれ育った柏レイソルで、“現役大学生Jリーガー”としてプロサッカー選手の第一歩を踏み出した。
そして迎えた、プロ1年目の2022シーズン。
ついに上り詰めた舞台で、初得点を決めたサンフレッチェ広島戦は、記憶にも記録にも残る試合となった。
「アウェイで0-1の状況で自分が入って、2ゴールを決めての逆転勝利。ちょっと出来過ぎというか、なかなかこれ以上ない、プロ初ゴールだったんじゃないかなと思います。だけど、そのあと試合に出られる時間が減ってしまって……」
リーグ戦15試合出場4ゴールという成績をあげたものの、先発が2試合に留まったことも含め、決して満足のいく結果ではなかった。
「これまでユースでも大学でも、怪我以外でメンバー外やベンチスタートが続く経験をしたことがなかったんですよね。プロになると特に、練習試合と公式戦とではプレーの強度も質も全然違う。改めて、リーグ戦に出続けることの大切さを実感しました」
出場機会を求め、森は2年目で徳島ヴォルティスへの期限付き移籍を決断し、13ゴールをマークする。
そしてプロ3年目の2024シーズン。
各方面からオファーが届くなか、新天地に選んだのは横浜FCだった。
柏に戻る“退路”を断っての完全移籍には、驚きの声も多く挙がった。
「レイソルに戻るという選択肢もあったので、正直すごく悩みました。ただ、試合に出続けることをまずは最優先に。そしてこのチームで結果を残してJ1昇格に貢献することで、今後の海外移籍も含めてのキャリアの選択肢が増えるのではないかと感じて、加入を決めました」
ただ、サッカーも人生も思い描いていたとおりに進むとは限らない。
2024年3月2日に行われたJ2リーグ第3節・モンテディオ山形戦、チャンスを迎えた場面で相手と接触した際に、体勢を崩し転倒。前十字靭帯損傷と診断され、長期離脱を強いられることとなった。
「前十字靭帯の怪我は、大学1年生の11月以来、人生で2回目です。その時と同じような膝の感覚だったので、ある程度覚悟を決めて病院に行きました。だから実際に診断を受けた時も、意外と冷静で。『早く手術して治したい』ただその一心でしたね」
もちろん、長いリハビリ生活が辛くなかったわけではない。
過去、共に戦ってきた同い年のチームメイトやライバルが、世界や日本代表として活躍している現状に焦りも少なからずある。
ただ、心折れずに前向きに治療に専念できたのは、『ピッチに戻れば結果を残せる』という、積み上げてきた自信と実績があるからこそだ。
「この怪我で二度とサッカーができなくなるわけでも、死ぬわけでもない。ちゃんと治せば、元のようにプレーできることもわかっている。だから、1日でも早く回復できるように、自分の身体と向き合ってきました」
そして今年3月20日に行われた、JリーグYBCルヴァンカップ1stラウンド第1回戦・FC岐阜戦で、約1年ぶりに実戦復帰を果たした。
「4月にチームに合流してから試合勘が戻っておらず、今はそこに苦しんでいる段階」と四方田修平監督も話すように、まだ体は重く、残る違和感と戦いながら、コンディションを上げている状態だ。
それでも、ルヴァンカップ第3回戦・FC町田ゼルビア戦ではPK戦のキッカーを務め、初めてホームのニッパツ三ツ沢球技場で“ゴールネット”を揺らした。
続くJ1リーグ第18節・柏レイソル戦ではメンバーに入ることは叶わなかったが、10月に予定されている三協フロンテア柏スタジアムでの再戦で、“恩返し弾”を決めるイメージをふくらませている。
「自分の活躍やゴールを待ってくれているサポーターのみなさんの声は届いています。たくさんの方に支えてもらった分、ここからチームの目標であるJ1残留の力になれるように。精一杯頑張ります」
間もなく迎える、J1リーグ後半戦。“不屈のストライカー”森海渡の逆襲が、ここから始まる。
森海渡/FW 2000年6月7日。185cm、80kg。
4歳でサッカーを始め、小学4年生で柏レイソルU-12に加入。U-15、U-18と昇格し各カテゴリーのエースとして活躍した。高校1年生で出場したユース年代の国際大会・アルカスカップでは、バイエルンやレアル・マドリードなど世界の強豪相手に合計4得点を決め、大会得点王に輝いた。高校卒業後は筑波大学に進学し、1年生ながらリーグ戦の主力として出場し得点を量産。3年生では、関東大学リーグ1部で14ゴールを記録し、得点ランク1位タイの成績を残した。2022シーズン、大学卒業を待たずして柏レイソルとプロ契約を交わしJリーグデビュー。2023シーズンは期限付き移籍先の徳島ヴォルティスで13得点を決め、2024シーズンに横浜FCに完全移籍で加入。大柄ながらスピードにも自信を持ち、日本人離れした重く鋭いシュートでネットを揺らす、ゴールゲッター。前十字靭帯損傷による長期離脱を乗り越え、今季J1の舞台での再起を誓う。